沿革

沿革

設立当初から平成5年(病院建て替え)まで

当院の看護は、1925(大正14)年 大阪市立市民病院の開設時からの歴史がある。
保健婦助産婦看護婦法の制定(昭和23年)で国家免許となり、完全看護制度(昭和25年)、基準看護の制度化(昭和33年)、病院看護管理組織―看護部門の独立(昭和24年)、看護婦看護管理者の再教育、看護大学の開校(昭和27年)などが整備された。
本院においても、看護教育は1949(昭和24)年 大阪市立医科大学附属厚生学院の第1期生が、入学し、その体制が整えられた。看護は看護婦の手でと、基準看護制度が確立され、病棟(48床)は、機能別看護であった。勤務は、日勤、早出、遅出、準夜、深夜で夜勤は1人で1週間が1クールという体制であった。

1959(昭和34)年国民皆保険になり、医療サービスの高まりの中、看護婦不足は深刻化し、病院ストは全国に波及していった。人事院は1人夜勤廃止、夜勤月8日を裁定した。
看護教育に進学コースが導入され、2部の教育が始まった。昭和38年、准看護婦の数が2分の1強を占める中で、実習指導を、責任をもって行うために看護部に専任臨床指導室が設けられた。看護における水準を一定に保つために、看護の手順化が進められた。チームナーシング体制が導入され、看護婦をリーダーとしてチームを組み業務を進めていった。看護論、特にヴァージニア・ヘンダーソン著「看護の基本となるもの」は、改めて看護について考える機会となり、その理論を通して看護計画がチームカンファレンスで検討された。

1968(昭和43)年、看護教育カリキュラムは、技術中心から人間理解を根底に患者中心の考え方へと改訂され、看護部に教育担当者を配置し、看護研究学会への発表等も行われるようになった。
1985(昭和60)年以後は、医療の高度化、広範なシステム化が図られた。ICUの増床、CCUの開設、救急医療体制の整備、産婦人科診療相互システム、新生児診療相互システム、医療情報システムなどが、これにあたり、運用のための看護要員も増員した。
1993(平成5)年、新病院が開院した。 施設・整備の充実、医療情報・搬送システムが整備され、看護業務も質的なものへと変化した。
(大阪市立大学医学部50年史より)

平成5年(病院建て替え)から今日までのあゆみ

平成6年度 基準看護制度の廃止、新看護体制開始
専門看護師、資格認定制度、訪問看護など医療の高度化、高齢化社会に向けて卒後教育制度の充実
平成9年度 特定機能病院の承認
平成12年度 安全管理対策協議会を設置。その役割と機能の充実に向けて、専従看護師配置。
平成13年度 ナースキャップ廃止
平成14年度 「保健婦助産婦看護婦法」の一部が改正により、資格名称統一 本看護部も、同年4月1日より呼称を改正
当院 第一号 認定看護師(皮膚・排泄ケア)誕生
看護外来開設
平成15年度 外来に非常勤看護師を配置、グループ制導入による人材活用を開始
クリニカルパス導入
平成16年度 当院 第一号 専門看護師(がん看護)誕生
平成17年度 教育担当 専従看護師長配置
平成18年度 クリニカルラダーの導入
平成19年度 電子カルテ導入
平成20年度 200人余の看護職者を採用し、7対1の看護師配置
HCU開設
新人教育専任者配置
新人看護職員研修 導入
変則2交代制導入、拡大
平成21年度 緩和ケアチームにがん看護専門看護師の専任配置
平成22年度 救命救急センター認可
平成23年度 患者総合支援センター設置に伴う看護配置
処遇改善(夜間看護手当、専門・認定看護師手当)
平成25年度 感染制御部設置に伴う専従看護師配置
マネジメントラダー導入
平成26年度 内視鏡センター看護部24時間対応
平成27年度 看護教育研究研修センター設置:看護学科に副主任を臨床特任講師派遣開始
夜勤時間短縮試行開始
DiNQL(労働と看護の質向上のためのデータベース)事業に参加
平成28年度 外来看護体制変更(師長は各階フロア担当制、主任13名配置)
平成29年度 看護師特定行為指定研修機関として開設
夜勤時間短縮部署拡大
入退院支援センター開設 看護師配置
平成30年度 特定行為研修修了看護師の実践開始
看護職の名称変更:主任→副師長  副主任→看護主任
令和元年度 日本看護協会版クリニカルラダーの導入
働きやすさワーキングを設置
キャリアと連動した賃金モデルの構築
HCU・CCUの単独化
令和2年度 新型コロナウイルス感染症重症患者受け入れ開始
大阪コロナ重症センターへの看護師派遣
令和3年度 ICU・CCU 統合
メンタルヘルスケアサポート体制の構築
e-ラーニングシステムの導入
令和4年度 ユニフォーム色での勤務帯識別導入